大阪市電の想い出をたどって…(3)

 母に手を引かれて乗った大阪市電の想い出を振り返っています。



 親戚宅からの帰路も、大抵は往路の逆ルートでした。


 乗車は「あみだ池」です。
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 このあたりにあったはずです。


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 「あみだ池」のバス停が見えます。

 電車道東側に「ヤマハ」の看板が上がったオートバイ屋さんがありまして、「なんで楽器の店にオートバイ?…」と不思議に思っていました。今では笑い話にもなりませんね。



 帰宅には違う方法をとることもありました。


 桜川二丁目折返しの「くだら」行電車もありましたので、桜川二丁目まで歩いたこともありました。古い型の電車には「櫻川ニ」と幕に出ていたこともよく覚えています。


 西道頓堀川の橋を歩いて渡るのですが、ここには貯木場があったようで、丸太がたくさん浮かんでいた記憶があります。「桜川二丁目」止まりの電車に乗った時、下車後製材所の横を通って親戚の家まで歩いた記憶もあります。
 家具の街として知られる「立花通り」はこのすぐ東側です。
 古くから「木場」として栄え、この近くに製材所があって、そのため家具屋さんが軒を連ねていたのでしょう。今でも製材所が残っており、近くの幸町界隈には木工機械屋さんが結構あります。
 その「立花通り」もブティックやおしゃれなカフェが立ち並んで若者の街となり、すっかり雰囲気が変わりました。



 桜川二丁目での電車の折返し作業もよく覚えています。
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 この橋の袂あたりに渡り線があり、折り返しを行なっていました。



 また、ほど近い南海汐見橋駅まで歩いて汐見橋線で帰宅したこともありました。
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 阪神なんば線の開通により、すっかり辺りの光景が変わったこの界隈、当時の汐見橋駅には駅西側に貨物ヤードがありましたが、旅客駅としてはすでに寂れていたように感じました。

 現在カー用品店になっているところが貨物ヤードだったところです。
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 当時汐見橋線の電車は高野線の「お古」が走っていて、ほとんどが「住吉東」行だったと記憶しています。
 下車駅の「岸里」は南海本線を跨ぐ高架上にあったはずです。


 汐見橋線は、いま都会の超ローカル線として30分間隔で運行されています。
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 かつて改札口の上に掲げられていた古い路線案内…(平成22(2010)年夏撮影)
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 すでにもう撤去されていました。
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 汐見橋交差点の北西側に「くすのきボイラ」というボイラー型の看板がでていたのをよく覚えていますが、「ボイラー=大きな釜=火…」ときまして、子供心になんだか怖いイメージがありました。
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 「楠ボイラ」さんは、古く明治の創業だそうで、昭和22(1947)年にこの地に来られたとか。
 それらしき看板は今も健在です。



 市電で帰るときは、「行き」の逆ルートになります。


 恵美須町で下車し、交差点西側を南へ…。交差点を渡る直前に見える「いさみ」の店頭に並ぶてんぷら(一般にいう「さつま揚げ」のことです。関西では「てんぷら」と称します)やかまぼこをいつも美味しそうに眺めながら家路を急ぎました。
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 帰宅は夜になることも多く、市電の最終便(方向幕に赤いランプが灯っていました)や最終一本前(方向幕に緑のランプが灯っていました)も何度か目にしています。


 市電を降りて歩道に渡れば、阪堺線の恵美須町駅は目の前です。
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 阪堺線の恵美須町駅には、いつも複数両の電車が停まっていましたので、先発をあまり気にすることなく「座れる電車」に乗っていました。
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 (ともに昭和53(1978)年頃)

 それでも、最前部運転士さん右横の「特等席」に立つこともしばしばです。

 当時は1・2番線が「浜寺駅前」方面行、3番線が「平野行」と発車番線がほぼ固定されていましたので、それも安心でした。
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 (昭和53(1978)年頃)



 昭和43(1968)年にこのルートの市電がなくなったあとは、恵美須町から同ルートの市バスを利用するようになりました。(このルートを通るバスは、今はもうありません。旧市電三宝線のルートを通る「なんば⇄芦原橋⇄住之江公園」という系統のバスが運行されています)

 勘助町・芦原橋間のオーバークロスは市電廃止時になくなってしまいましたので、当然のことながら通りませんが、そのことがとても寂しかったのをよく覚えています。


 やがて地下鉄千日前線の野田阪神・桜川間が開通し、親戚宅への最寄駅が「西長堀」になりました。地下鉄千日前線は市電が通る「あみだ池筋」よりも一本西側の「新なにわ筋」を通りますので、市電の時よりも親戚宅へは近くなったはずですが、階段の上り下りなどを考えますと市電の方がよかったなぁ…と子供心ながら考えておりました。

 地下鉄千日前線が桜川からなんばまで延長されたあとは、御堂筋線に乗り換えて利用していましたが、ほどなく谷町九丁目まで開通して、先に開業していた千日前線東側区間とつながりました。それからは阪堺線で恵美須町へ出て、地下鉄堺筋線で日本橋に向かい、そこで千日前線に乗り換えて西長堀へ…、というルートが固定しました。


 そんな親戚宅への訪問も高校に入る前頃からあまり同行しなくなりました。
 親戚宅は、お子様が二人とも結婚されて家を出られてご夫婦だけになり、やがてご主人が先に亡くなられ、しばらくして奥様もお亡くなりになりました。



 阪堺線と市電を乗り継いで親戚宅へ通った想い出も、もう50年以上も前の遠い遠い昔のお話になりました。



(1980号)

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この記事へのコメント

タイムスリップ
2021年02月27日 13:51
  汐見橋駅の外観凄いことになってますね。

 秋に墓参の際に利用した時は東側の側面だけだったのが、正面にまでペイントされて。

 同じ私鉄の難波線でメトロの案内はあっても南海の案内が無いのが不思議です。

 宣言が解除されたらまた墓掃除にも行かなきゃ。

 まだ寒い時期だから雑草とかは少ないと思いますが。
のり
2021年03月01日 20:27
♪ タイムスリップ様
汐見橋駅の外観、私も驚きました。
存在感が出てきましたね。
とは言っても1編成の列車が往復するだけの30分毎運行という都心の超ローカル線になってしまいました。
子供たちが小さかったころ、習い事のためにこの線をよく利用していました(まだ20分毎の運行だった頃です)。汐見橋駅の構内にあった売店にはとてもお世話になりました。