平野線廃止40年…(前)

 昭和55(1980)年11月の平野線廃止から40年が経ちます。

 過去に撮影した写真を眺めながら、在りし日の平野線の姿を偲んでみたいと思います。



 恵美須町駅で発車を待つ平野行の電車…

 3番線の121号…(昭和53年頃)
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 154号…(昭和53年頃)
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 上町線のワンマン化にともない、161・301・351・501形32両が「雲電車」(立石電機(現 オムロン)の広告塗装)となり、そのほかの大型車が金太郎塗装と呼ばれたツートンカラーから「濃緑色」に変わって間もない頃です。


 黄緑雲電車の161号…(昭和53年頃)
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 1番線に停車中の167号…(昭和53年頃)
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 大型車の必要な平野線のツーマン車確保のため、161形電車のうちの161〜168号はワンツーマン兼用車でした。雲塗装もこの8両は「黄緑色」で、ほかの水色(169〜175・301〜307)やオレンジ(351〜355・501〜505)の雲電車とは明確に区別されていました。



 「次発 平野」の発車案内が見えています。(昭和53年頃)
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 この発車案内の表示は、右から「平野・天神ノ森・田辺・我孫子道・東湊・浜寺駅前」とあったようです。


 のりば案内には「阿倍野・田辺・平野」と表示されています。(昭和53年頃)
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 昭和13(1938)年に発刊された「南海鉄道発達史」によりますと、当初は恵美須町・平野間を10〜15分間隔で運行されていたそうですが、モ161形が新製された頃には平野線を運行する全車が大型ボギー車となって、運転間隔も4〜10分になりました。また7〜9時までのあいだ、恵美須町・田辺間の折返し運用が8分間隔で行われていたと記されています。
 また、このころに連結運転を開始しています。


 そんな恵美須町駅も今年の2月1日に南に少しばかり移動した新しい停留場が開業しました。

 懐かしい旧停留場は、解体工事が進み、すでに更地になっています。

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 (2020年11月9日早朝撮影)



 白黒写真撮影の頃の阪堺線恵美須町付近には、まだ往年の面影が其処彼処に残っていました。

 恵美須町を出てほどなく西側脇に、かつての今宮工場跡を偲ばせる長い側線が渡り線とともに残っており、また南霞町(現 新今宮駅前)の北側には旧南霞町駅のホーム跡が残っていました。南霞町は、昭和13(1938)年4月の地下鉄御堂筋線天王寺延長開業に合わせて、地下鉄との乗り換えが便利になるようにと少し南側の現在の位置に移設されたという話を識者の方から伺ったことがあります。




 今池を出て下り勾配上にある分岐で阪堺線と分かれたあと、東にカーブします。
 恵美須町に向かう電車にとっては上り勾配上にあるポイントになりますので、ポール集電時代はポール付け替えの難所だったそうです。



 下り勾配を降りたところ、カーブの出口手前にあった停留場が「飛田」でした。(昭和55年2月14日)

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 飛田から阿倍野交叉点までが平野線唯一の併用軌道区間でした。
 上町台地を上り下りする姿は、なかなか見ごたえのある光景でした。(昭和55年2月14日)

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 この先には、なかなか趣のある建物の自転車屋さんがありました。(昭和55年2月14日)

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 「国産瓦斯器具陳列所」…(昭和53年頃)
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 お店の方から大正時代の建築であると聞きました。大阪ガスよりも古い瓦斯会社だったそうです。
 誠に残念ながらこの建物ももうありません。



 ほどなく「阿倍野交叉点」にさしかかります。


 信号待ちをする恵美須町発平野行の車内から…(昭和55年2月29日)
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この記事へのコメント

BYRD
2020年11月10日 22:35
平野線は一度も乗ることがなく廃止されてしまったので乗ってみたかったです。

旧恵美須町駅も入口以外はすべて更地になってしまって寂しい限りです。
Cedar
2020年11月11日 19:21
ご無沙汰しております。飛田電停のカットは印象的です。遊郭の境の高い塀が写っておりますね~昭和43年にはじめて関西に行った時にここで写真撮りました。平野まで往復して飛田で下車、今池まで堺筋の踏切など撮影して歩きましたが、周辺の剣吞な雰囲気に緊張して、今池では天王寺線の貨物列車が来たのに撮影せずに電停に急いで上がってしまいました。
のり
2020年11月11日 20:39
♪ BYRD様
廃止されて40年も経ってしまいました。じつは私も近くに居ながら数えるほどしか乗っていないのです。今から思えば返す返すも残念でなりません。

旧恵美須町駅もすっかりなくなってしまいましたね。寂しい限りです。


♪ Cedar様
飛田駅、今思えばよく撮ったものだと思います。
まだあの高い塀が残っていたころですね。
平野線は今でもその走っている姿を思い出します。特に「阿倍野交叉点」と「恵美須町」は忘れられない光景になっています。
けんぢ
2020年11月12日 18:00
ご無沙汰しております、けんぢです^^
5歳になった息子が、最近プラレールを飛び越して
Nゲージの堺トラムにハマっております^^;

平野線の記事、感慨深く拝見しました。
飛田が舞台の1974年の日活ロマンポルノ『㊙︎色情めす市場』には、当時のこの辺りを中心にロケをされているので、記録映像ドキュメントとしても貴重で楽しめます。
のりさんの撮影された写真とグーグルのストリートビューを見比べて見ると、今でも残っている建物、もう消えてしまった建物と、いろいろ発見があって面白いですね!! 阪神高速の高架をくぐる辺りの南側、タテ型の「高田商事(株)」の看板は、40数年前と変わってないようですね!!
「たばこ」の看板があった建物は、お店こそもうやってはいないものの、建物自体は残っているようですね(茶色いレンガのタイルのお家)。
「ニッタ自転車」さんは、存在感ありましたよねーーー!! 僕の10年以上乗っている自転車は・・・ニッタ自転車さんで買いました!! 『NITTA』の文字を自転車の形にデザインしたロゴマークがおしゃれです^^b ではでは
タイムスリップ
2020年11月14日 12:47
  私が浪人して、予備鯉通いの時短のために伯母の家に世話になってた頃の平野線には覆いかぶさるものは未だ無かったです。

 合格してからも1年間世話になって、阪神高速の工事で敷地の離れのあった部分が削られということで下宿生活になりました。

 就職して阪堺線を利用していた頃に平野線が無くなり、今船の電停が新しく増えたのを思い出します。

 叔母の家も上には高速、地下にはメトロで、居間のコタツに入っていると電車の通る地響きが聞こえます。

 平野線の通過する音が懐かしいです。

 あの当時は未だ枕木の杭が道路との境界だったはずです。

 古い記憶は蘇るのですがねぇ(笑)。
hm6059
2020年11月14日 22:40
のりさん、こんばんは。
 コメントされている方々の文面を拝見していると懐かしい景色が思い出されます。 
 天王寺支線の貨物 全身緑色の凸型機を天王寺駅のホームで時々見かけました。関西線はキハ35が主力で、構内はなぜか鳩がやたら多くて、、、。いつの頃からか、電気機関車の姿は見なくなり、南海電車も天王寺駅から消えてしまった。
 子供の頃、股ヶ池~文ノ里あたりの線路西側の家並が立ち退きになり、電車道の空間がやたら広くなっていた記憶があります。そのころはまだ枕木の杭(柵)が建っていました。(末期は金網フェンスになりました)
のり
2020年11月15日 07:14
♪ けんぢ様
こちらこそ、ご無沙汰しています。
平野線、今でも阿倍野交叉点をゆく姿が目に浮かびます。
激変した阿倍野界隈以外には、沿線の建物に当時のままのものもありますので、懐かしい思いもします。
ニッタ自転車は、一時期広告電車が走っていましたね。


♪ タイムスリップ様
平野線がなくなってもう40年になります。
飛田・阿倍野間以外は専用軌道でしたので、郊外電車のイメージが大きかったですね。
古枕木で作られた境界の柵、懐かしく思い出されます。


♪ hm6059様
天王寺支線、懐かしいですね。
南海型と呼ばれた凸型電機、あの独特のホイッスルも印象的でした。
天王寺駅の架線のない関西線ホームも懐かしく思い出されます。
もう遠い昔の話になってしまいました。