阪和電鉄全通90周年…

 久しぶりの全面休日となった3月27日(土)、某ブログ記事にて知りました阪和電鉄全通90周年を記念する展示会「泉州を貫く軌跡」を見学するために大阪府立弥生文化博物館を訪問いたしました。

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 南海本線住吉大社駅8時12分発の和歌山市行普通に乗車…
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 堺にて、先発する関西空港行空港急行に乗換え…
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 諏訪ノ森…
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 阪堺線のガードをくぐって…
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 浜寺公園…
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 高架工事が進む羽衣に到着。
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 下り線はすでに高架になっています。また上り線がまもなく(5月22日)高架化されるため、ホームの完成も間近です。
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 高師浜支線用になると思われるホームも見えています。
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 なお高師浜支線は羽衣駅付近の高架工事のため5月22日から約3年間運休します。



 羽衣駅で下車…

 かつては路地のような地道を歩いて乗り換えていたのですが、羽衣駅が高架になり、新しくできた屋根のついた専用デッキでJR東羽衣駅に着きます。
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 「東羽衣駅」、昔の「阪和浜寺」駅です。

 4連ワンマン運転の羽衣支線。
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 たった一駅ですので発車してほどなく終点鳳です。

 鳳で普通電車を待つあいだ…

 パンダ特急…
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 キティちゃんはるか…(シャッターチャンスが悪く画像が欠けてしまいました)
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 日根野行普通に乗車します。
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 富木・北信太を過ぎて…

 信太山です。
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 この駅に降り立つのはおよそ50年ぶりになるでしょうか。中学生のころ、社会科クラブ(考古学を中心に勉強していました)に入っていたわたしは、当時大規模な発掘調査が進められていた池上曽根遺跡(確かあの頃はまだ「池上遺跡」と呼んでいたような気がします)を他の部員とともに何度か訪問していました。
 当時阪和線はまだまだオレンジ色の旧型国電ばかりでした。

 駅やあたりの光景があまりにも変わっており、昔の姿を思い出すことはできませんでした。


 駅を降りましてすぐに案内板があります。
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 踏切を渡り西へ…

 茶色く舗装された道を辿ってゆけば…
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 迷うことなく「大阪府立弥生文化博物館」に着くことができます。
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 到着は9時10分。

 開館は9時30分ですのでしばらく待つことにしまして開館と同時に入場…、本日一番乗りでした。

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 企画展示のため2階特別展示室での開催です。
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 シルエットは伝説の名車「モヨ100」でしょうか。


 パンフレットです。
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 阪和電鉄の歴史…
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 阪和天王寺駅…
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 「ワカ山ユキ超急四十五分」の文字が見えています。ほかにも砂川遊園やみかん狩・松茸狩などなど、すさまじい沿線案内広告が掲出されています。


 阪和電鉄の軌跡…
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 高架路線を走る阪和の電車の写真
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 昭和13(1938)年とありますので地下鉄御堂筋線が天王寺まで延伸された頃ですね。電車は3扉ですのでモタ300でしょうか。「特急」という表示が見えているこの電車、うしろに客車を三両もつないでいます。


 「高速」を売り物にした阪和電鉄の時刻表
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 旅客誘致のために製作されたパンフレット類(春夏秋冬)
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 沿線観光地の案内パンフレット
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 住宅案内…
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 レクリエーション…
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 もみぢ狩・みかん狩
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 松茸狩
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 兎狩
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 「兎狩り」、学芸員さんのお話では当時小学校や中学校のレクリエーションとしてけっこうポピュラーな行事だったそうで、野うさぎを丘などの裾地から音を立てて山上付近へ追い詰め、地元の猟師さんが網などで生捕りしてみんなで汁物にして食したそうです。今ではまず考えられない行事ですね。
 「兎狩」については、「初めて聞いた」「聞いたことがある」「参加した」という3通りの方がおられたそうです。
 帰宅後に調べてみますと、泉州ではごく普通に行われていたようで、南海鉄道でも「兎狩」のパンフレットが発行されています。



 そして、南海鉄道との合併…

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 合併の新聞記事…
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 昭和16(1941)年の南海鉄道案内…
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 阪和電鉄線は南海山手線と称されることになりました。この案内図によりますとあちらこちらの駅名に変更が見られ、特に「阪和浜寺」が「山手羽衣」になっています。
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 阪和電鉄は南海に合併されたあと、国有化されました。


 「モノが語る阪和電鉄」
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 いろいろな記念行事や式典に際し配布された「記念品」を集めたコーナーでした。


 かつて使用された行先表示板…(黒潮号は復刻です)
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 「直行」はかつての一時期に存在した列車種別で、現行の「区間快速」にあたるようです。
 この「直行」という列車種別は南海高野線にも存在したことがありましたが、設定されて数年後に「準急」になりました。


 阪和線の行先表示板では、個人的にはこちらの方が懐かしく感じます…
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 黄緑地に赤のライン、そして和歌山の「可」の文字が思い出されます。


 そのあと、学芸員さんとのお話に熱が入りまして阪和電鉄の乗車券類などを撮影する機会を逸してしまいました。


 この日は父の遺品のノートの現物を持参いたしまして、学芸員さんに阪和電鉄の乗車券や広告マッチのラベルの実物をご覧いただきました。

 過去記事から…






 講演会前の貴重な時間をいただき、本当にありがとうございました。


 「阪和電鉄」の歴史につきましては、過去記事をご覧ください。


 存続した期間はわずか10数年、会社が消えてもう80年にもなります。鮮烈な印象を残して歴史の彼方に消えた鉄道会社「阪和電気鉄道」…
 その栄光はいつまでも輝き続けることでしょう。




 楽しい時間もあっという間に過ぎまして、ここをあとにする時間となり、帰りは南海本線「松ノ浜」駅へ出ることにしました。



 高架になった松ノ浜。
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 南側に向かってまっすぐな鉄路が伸びています。
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 和歌山方面へ行く電車が通り過ぎます。
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 なんば行普通がやってきました。
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 南海の車内に近鉄と京阪の広告が並んでいました。
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(1984号)

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この記事へのコメント

BYRD
2021年04月01日 22:33
自分も先月訪問しましたが、阪和電鉄から現在のJR阪和線へと続く歴史の説明文と点数の多い展示物の配置が素晴らしく、とても見応えの展覧会で足を運んだ甲斐がありました。

私鉄時代の阪和電鉄に興味を持つようになって今回足を運ぶことができましたのも、のり様との住吉でのお話や貴ブログの記事を拝見させていただいたことがきっかけでしたので、本当にありがとうございました。
のり
2021年04月03日 22:24
♪ BYRD様
こちらこそ、貴記事を拝見させていただいたおかげでこの展示に足を運ぶことができました。ありがとうございます。

パンフレット類の充実した展示でしたね。利用者に直接関わる資料としてのパンフレットは、やはり説得力があります。

戦後すぐの一時期、阪和線をもう一度私鉄に戻そうという動きがあり、特に和歌山側で顕著だったそうです。もちろん阪和間のルートを手に入れた国鉄は絶対に手放しませんでしたが、もし阪和電鉄が復活していたらどんな風になっていたかと思うと、とても興味深いですね。
hm6059
2021年04月04日 13:23
「兎狩」は、一番の衝撃ですね。
親の世代の話では、「いつから松茸は高級品になったんかな」とは聞かされてましたが、松茸も椎茸並みに採れた時代だった事がわかります。
モヨ100は緑色?草色だったんでしょうか、南海電車と同系統の配色だった様子。
南海合併後の案内図に「三国ケ丘」が記載無いのは、合併直後で未開設だったのかなあと思いました。
タイムスリップ
2021年04月04日 19:56
  少し前のMSNニュースに、懐かしいと感じることが脳のストレス発散になったり海馬の働きに良いとか出ていました。

 阪和線(~紀勢線)の思い出は、難波発の「きのくに」や野上電鉄・有田鉄道、それに天王寺線と連鎖します。

 改装前の難波駅の端っこのホームでディゼールの臭いをまき散らしていた「きのくに」は特に印象に残っています。

 ってなことで、今日も脳の活性化に役立ちました。

 有難う御座います。
のり
2021年04月04日 20:54
♪ hm6059様
兎狩は私も「えっ!」と思ってしまいましたが、当時は野うさぎもたくさんいたでしょうし、ごく当たり前のレクリエーションだったのだと思います。
松茸狩もごく普通に行われていたのでしょうね。
阪和の電車は濃緑だったようです。当時の電車は「緑」「小豆色」「海老茶色」などが一般的だったのでしょうね。
三国ヶ丘駅の開設は阪和・南海合併後の昭和17年だったとWikipediaにありました。


♪ タイムスリップ様
南海の「きのくに」号は国鉄和歌山駅で国鉄の「きのくに」と分割併合していました。南海のディーゼルカーが紀勢線内を行く「きのくに」の先頭に立って走っていたようです。
当時はテレビCMの「南海だより」に、白浜や瀞峡など「南紀」がよく登場していましたね。懐かしく思い出されます。
gop
2021年04月06日 07:31
阪和線も変わりましたね。昔EF51を撮りに言ったのが懐かしいです。
ところで、BS12で「ふたりっ子」再放送が始まりました(一回6話放送)
第六話ではモ164が出て来ましたよ(今池駅乗車〜車内シーン)
https://www.twellv.co.jp/program/drama/futarikko/
2021年04月06日 09:08
阪和天王寺駅懐かしく思い出します。小学校の校舎からは近鉄南大阪線が、中高の窓からは阪和線、城東線が望める鉄オタには垂涎の地に学校がありました。阪和天王寺駅は学校から天王寺方面に歩いてすぐの場所にあり、よく通った者です。小学校時代は大鉄モニ500系に混じってラビットカーが登場した時代に、中高では、旧阪和の電車が国鉄制式化や、紀勢線直通の客車群を引くEF52,EF16からED60に変化し、阪和急行がモハ52,53からモハ70系に変わり、城東線が環状線になり73系から101系になる時代を過ごしました。特に阪和線は高架を走る電車や列車を授業がいやになったら眺めて楽しんでいました。黄色いキハ55系の「きのくに」が颯爽と高架を走る姿も目に浮かびます。電車ばかり見ていたせいか見事に落ちこぼれ、後の人生はかなり険しくなりましたが、阪和線がなければ私の中高生活はもっと灰色になっていたかもしれません。良い想い出を見せていただき、ありがとうございました。

デトニ2300
のり
2021年04月08日 00:22
♪ gop様
阪和線に関しては、中学時代になった時のオレンジ色の旧型国電のイメージが強すぎて、現在の姿になかなか馴染めません(笑)。
「ふたりっ子」、始まったようですね。大阪の下町が舞台で、なかなか面白いドラマでした。


♪ デトニ2300様
私は貴殿よりもう少しだけあとの姿を見ています。
ラビットカーの新鮮なカラーリング、西九条でつながったもののまだ直通運転が始まっておらず仮設の階段を上って乗り換えていた時代の環状線…。
阪和線は後年まで冷遇されていました。旧国が最後まで残り、阪和線体質改善用として新造された103系も、じつは京浜東北線に新車投入されて捻出した車両を阪和線に回すという状態でした。首都圏の路線案内がまだ残る電車に乗ったこともあります。