大阪市電の想い出をたどって…(2)

 母に手を引かれた私は、週一回くらいのペースで「聖天坂⇆恵美須町⇆あみだ池」というルートで阪堺線と大阪市電を乗り継いで「あみだ池」近くにある親戚宅を訪れていました。

 想い出をたどりながら恵美須町までやってきたのが前回のお話でした。



 恵美須町交差点の南西角にある阪堺線恵美須町駅を出て、交差点を東へと渡ります。
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 振り返れば阪堺線の恵美須町駅が…
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 渡った右手は新世界本通で通天閣もすぐそこに見えています。


 かつての恵美須町は、市電にとってとても重要なところでした。地下鉄が開通する前には、霞町から恵美須町を通って堺筋を北上してゆくルートや、その途中の日本橋三丁目を西に折れて南海難波駅前へと向かうルート、そして南北線とよばれた四つ橋筋を北上して天王寺と梅田とを結ぶ重要なルート…、というように大阪の中心部へ向かうのにとても便利な要衝でした。南海平野線も沿線から大阪都心部へと向かう利用客が多く、昭和4(1929)年からモ161形による連結運転を昭和30年代まで行っていました。


 道路沿いに東へアーケードを行きますと、ほどなく市電の停留所がありました。ただ、石積みのホーム(安全地帯)があったかどうかの記憶は定かではありません。
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 東側天王寺西門前からやってくる電車をいまかいまかと眺めていたことを思い出します。
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 私たちが乗る電車は、生野区の「くだら」から天王寺西門前・恵美須町・大国町・桜川二丁目を経て福島西通へ…という系統(7系統)でした。


 この系統の、ここからの停留所は「恵美須町・戎神社前・大国町・勘助町・芦原橋・立葉町・赤手拭稲荷前・桜川二丁目・あみだ池…」です。
 「あみだ池」から先の福島西通までは「未知なる路線」で、結局乗らず仕舞いでした。


 恵美須町交叉点をガタガタと渡ります。左へ行けば霞町車庫とも呼ばれた大阪市電最大の収容力を持った天王寺車庫の前を通って阿倍野橋へ…。また右側は堺筋を北上して北浜や日本橋三丁目で左に折れて難波駅前へと向かう路線があります。



 恵美須町を出ますと…

 南海電車のガードが見えてきます。
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 次は「戎神社前」です。
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 今宮戎神社の最寄り電停です。
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 道路に面した南側の高架下に「南海印刷」の大きな文字が見えていました。
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 ガード下南側…、シャッターで閉ざされている場所です。
 「南海印刷」は昭和24(1949)年にこの場所で創業し、昭和55(1980)年に新社屋に引っ越されたとホームページにありました。
 南海グループの企業で、以前の新聞記事で他の鉄道会社の切符やパンフレットなども製作していると知りました。その詳細は親会社といえども知ることはできない…、と記事にあったことをよく覚えています。


 大国町は梅田方面への路線が分岐する交叉点でしたが、廃止が昭和38(1963)年だそうですので残念ながら分岐があったという記憶は残っていません。
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 大国町を過ぎると「勘助町」です。
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 道路中央にある赤いポールが右にカーブするあたりに停留所があったと思います。

 町名由来の「勘助」とは中村勘助という先人のことで、豊臣秀吉に仕えて堤防や治水など土木工事に精を出し、徳川の世になって木津川を開削するなど大阪に多大な貢献をされた方で「木津勘助」とも呼ばれています。

 大国町にある「大国主神社」内に「木津勘助」の像が建てられています。
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 現在勘助町という地名は残っていません。辺りに残るビルなど数軒に「勘助」や「カンスケ」という名前が見えるのみとなっています。


 往時の大阪市電をご記憶の方は「勘助町」という名前を聞くと即座に「オーバークロスの跨線橋」を思い出されることでしょう。
 道路の真ん中で急に高架がはじまり、国鉄関西本線をオーバークロスします。
 下で電車待ちをしている車を見下ろしながら子ども心に溜飲を下げたものでした。

 その高架の痕跡は道路中央の分離帯に残っています。

 勘助町を出てすぐに高架がはじまり…
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 左へカーブして…
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 ここで関西本線を越えます。
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 市電がなくなってすぐにこのオーバークロスも取り壊され、後年関西本線も地下化されましたので、この辺りの光景は一変しています。

 かつて踏切があったこの場所ですが、関西本線(JR大和路線)は、ちょうどこの南側で地下へと入って行きます。
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 高架を下りますと…
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 ほどなく「芦原橋」です。
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 福島西通方面進行方向右側には大きな太鼓屋さんがあり、ショウウインドに並ぶ大きな太鼓がとても印象的でした。


 左側高架上には国鉄環状線の「芦原橋駅」が見えています。
 子ども心にはいつもこの駅を見上げていた印象が強いのですが、市電のこの路線が廃止されることにより開設された駅で、市電との共存が2年ほどだった旨がWikipediaに載っていましたので、比較的新しい駅です。



 芦原橋を出ますと、すぐに左側環状線のガードをくぐってやってきた「未知なる路線」と合流します。
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 出島や三宝車庫前行のこの路線は、歴史の荒波の中を生きてきた軌道であることを知ったのはずいぶん後のことです。
 かつての「阪堺電鉄」である名残が環状線のガード名に残っています。
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 電車は南海汐見橋線を前に見ながら、右へカーブして都心部(といっても少し西側に外れていますが…)へと入ります。
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 つぎは「立葉町(たてばちょう)」です。
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 この停留所はかなり印象が薄くほとんど記憶に残っていません。ただ、道路脇の支柱に「立葉町」と縦書きされた大きな白地のホーローと思われる文字を覚えています。バスのものではないと思いますので市電の停留所表示だったのでしょう。

 現在ではバス停名が「立葉」になっています。
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 交差点名も「立葉」です。
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 すぐ西側には南海汐見橋線が見えています。
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 そのつぎが「赤手拭稲荷前(あかてぬぐいいなりまえ)」。
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 バス停…
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 この系統の電車は廃止まで車掌さんが乗務しておられました。その肉声も大阪弁に近い独特のイントネーションでした。

 「あかて◯◯◯いなりまえぇ〜、あかて◯◯◯いなりまえぇ〜」

 車掌さんによって聞こえ方も違いますので…

 「あかてのいなりまえぇ〜」

 または

 「あかてもんいなりまえぇ〜」

 と聞こえましたので、小学校低学年の私には漢字が読めるはずもなく、なんという名前の停留所なのかは結局廃止までわかりませんでした。
 「あかてぬぐいいなりまえ」と正確に知ったのは随分あとのことでした。

 近くに「赤手拭稲荷」というお稲荷さんがあるためにつけられた電停名です。

 お稲荷さんはすぐ東側にあります。
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 願い事が叶った時に奉納する「赤い手拭」が見えています。
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 遠い昔の記憶で場所は定かではありませんが、おそらくこのあたりでのできごとだったとおもいます。
 突然市電車内に非常通報の警報ベルが鳴り響きました。車掌さんが装置をいろいろ手を尽くしていたようですがベルは鳴り止みません。車掌さんは装置を切ってしまったようで、電車はその後何事もなく走行しました。路面電車のたくましさを感じた出来事でした。



 そして「桜川二丁目」。
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 現在バス停は「地下鉄桜川」となっています。
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 千日前を通る路線と交叉していたのですが…。三宝線の電車も桜川二丁目行しか覚えておらず、残念ながら上本町六丁目方面に向かうこの路線の記憶がほとんどありません。

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 交叉点をわたり、西道頓堀川の橋を越えます。
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 ほどなく「あみだ池」に着きます。
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 ここから先につながる軌道は「未知なる路線」でした。
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 「あみだ池」から先は「白髪橋」「西立売堀」「岡崎橋」「京町堀通四丁目」「江戸堀北通四丁目」「堂島大橋」「堂島大橋北詰」と停留所が続き「福島西通」終点となります。




 親戚の家はここ「あみだ池」で下車して西へ少しばかり歩いたところにありました。



(1979号)

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この記事へのコメント

2021年02月24日 08:52
大阪市電、私が高校生の頃までよく利用しました。通学路は学校の最寄り駅まで最短で行くのは近鉄奈良線、城東線でしたので、利用出来ませんでしたが、母方の祖母(父)の店(小間物問屋)が久宝寺町にあったので、小遣いをせしめに上本町から南久宝寺町までよく市電を利用しました。私は昭和39年に上京しその後は帰省以外に大阪に帰ることがありませんでしたが、いつの間にか市電が消えてしまったなとの印象です。久宝寺町の問屋街も物流の変動により、賑やかだった店舗もほとんど商売替えをして無くなり、祖母の店も跡を継いだ従妹の入婿が商売に失敗し、跡形もなくなってしまいました。我が家も父が引退して故郷に引っ込むときに売却して跡形も無くなっています。大阪の思い出は、今も環状線から見える母校のみです。ところで、主要な市電の駅には切符売りのばあちゃんがいて、回数券を1枚売りしていました。回数券は確か10回の運賃で11枚綴りになっていて、1枚がばあちゃん達の売り上げになっていたと思いますが、都電の駅にはそういうばあちゃんがいなかったように思いますから、大阪独特の商売だったのでしょうか。古き良き時代の思いでです。
のり
2021年02月24日 18:40
♪ デトニ2300様
偶然にも数日前に久宝寺界隈をうろついていたところです。
30年以上前、仕事の関係で得意先の多かった南久宝寺を頻繁に訪問していました。
久しぶりに街の様子を眺めにいったのですが、すっかり様変わりしてしまっていることに驚愕していました。
得意先の何件かは建物ごとなくなっており、ほかも建物が歯抜けになってマンションが林立しています。南久宝寺通りのアーケードも無くなっていました。
昼食が美味しくよく通ったお店もほとんど姿を消していました。あまりの変貌ぶりに言葉が出なかったほどです。

切符売りのおばさんですが、路面電車写真の大家「高松吉太郎」氏の大阪市電写真集「水の都の赤い電車」には、切符売りのおばさんの写真が何枚か掲載されています。氏はそれほど注目されたのでしょう。回数券一枚分が収入というほんとうにささやかな商売ですね。

ほんとうに遠い遠い昔の話になりました…。
タイムスリップ
2021年02月26日 12:06
  JRになってからも「阪堺電鉄」は残っているのですね。

 そういえば、環状線は殆どが高架で、野田~福島で阪神と交差するときは、阪神が頭を下げた(笑)みたいになったのが、難波線では阪神がJRを頭越しに跨いだのが面白いです。

 それと湊町の駅も地上にあった頃を思い出します。

 難波の外れで飲んだ時に利用したことがあります。

 コロナが流行る前から、チャリの射程圏内でしか外呑みをしたませんから。

 あの頃は未だ元気だったんだと思います。
のり
2021年02月27日 08:07
♪ タイムスリップ様
環状線のこの陸橋名に「阪堺電鉄」の存在した証がしっかりと残っています。
出島や三宝車庫前行の電車が目に浮かぶようです。
勘助町での市電のオーバークロスは今でもはっきりと覚えています。下を行く関西線の車両はまだまだ気動車でキハ35が主力でした。たまにやってくる「急行かすが」間合い運用の急行型気動車が新鮮でした。