淀屋橋界隈…(続)

 6月22日(土)、思いつくままにもう一度淀屋橋界隈をぶらついてみることにいたしました。


 地下鉄御堂筋線淀屋橋駅中出口を出て、前回探訪時の終点だった場所…

 大阪市立愛珠幼稚園をスタートです。
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 まず向かいましたのが、大阪北浜のシンボル「大阪証券取引所」です。
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 平成16(2004)年に全面改築した際、昭和10(1935)年竣工した旧市場館の外壁や内部の一部が保存再生されました。


 正面には、大阪発展の大功労者として尊敬されNHK朝の連続テレビ小説「あさが来た」でも知られた「五代友厚」氏の像がそびえています。
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 像の裏面に顕彰文があります。
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 土佐堀通りを挟んで証券取引所の向かい側にこんなお洒落な建物があります。
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 この「北浜レトロビルジング」は、明治45(1912)年に株仲買業の商社社屋として建てられました。平成9(1994)年に英国紅茶とスイーツの店として再生され、現在では人気店として知られているそうです。




 堺筋を少しだけ南に下ります。


 「新井ビル」
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 大正11(1922)年に、報徳銀行大阪支店として建てられたものです。




 「高麗橋野村ビル」
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 昭和2(1927)年に、ガスビルや大阪倶楽部などの設計で知られる安井武雄氏によって建てられました。
 奥行きのなかり狭いビルです。
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 正面玄関の意匠と三日月型の照明がとても印象的です。




 「三井住友銀行大阪中央支店」
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 いかにも「銀行」というこの建物、昭和11(1936)年に三井銀行大阪支店として完成。

 こういった威厳のある銀行の建物、近年はすっかり姿を消してしまったような気がします。





 「小西邸」
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 薬種商小西儀助商店(現 コニシ株式会社、「ボンド」で知られる接着剤メーカーです)の邸宅兼社屋として明治36(1903)年に竣工。関連会社の事務所として今も現役のオフィスだそうです。
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 小西儀助商店は当初洋酒の販売も行っており、若き日のサントリーの創業者「鳥井信治郎」がここで修行をされていたとか。

 現在は建物の大部分が重要文化財に指定されています。




 「生駒ビルヂング」
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 塔屋の大きな時計が印象的なこのビルは「生駒時計店」として昭和5(1930)年に建てられました。

 大時計の下の意匠は時計の振り子をイメージしているとのことです。

 鷲の石像が過ぎ行く時代を見下ろしています。
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 「伏見ビル」
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 大正12(1923)年に澤野ビルヂングとして建てられ、当初はホテルだったそうです。




 伏見ビルに隣接して立つ「青山ビル」
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 大正10(1921)年に個人の邸宅として竣工。ビルを覆う蔦は甲子園球場から譲り受けたものだそうです。



 「神農さん」として親しまれる道修町の守り神「少彦名神社」もすぐ近くにあります。
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 「船場ビルディング」
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 大正14(1925)年竣工のこのビルは外見だけではなくビル内も意欲的な設計です。訪問時、扉が開いた瞬間に中の様子をうかがうことができました。扉のすぐ内側には中央に吹き抜けの中庭があり、それを取り囲むように小部屋が並んでいます。荷馬車などが機能しやすいようにと考えられた設計だそうで、ここも現役のオフィス空間です。




 旧八木通商大阪支店
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 大正7(1918)年に「大阪農工銀行」として竣工、その後「八木通商」の社屋ビルとして使用されていました。平成23(2011)年、惜しくも解体されマンションに生まれ変わりましたが、その際にファサード(表面)が新ビルに再生され、かろうじて雰囲気が保たれました。




 「大阪綿業会館」
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 紡績会社の取締役の家族から寄贈された遺産を元に昭和6(1931)年「日本綿業倶楽部」として竣工。日本の外交の舞台にもなったこともあるそうで、空襲からも守られて現在もその威容を保っています。


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 平成15(2013)年に国の重要文化財に指定されました。
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 「小川香料」
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 小川香料大阪支店のこの建物は、昭和5(1930)年に自社ビルとして竣工。現在も会社の大阪の拠点として現役の建物です。





 「清水猛商店」
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 家具・室内装飾のお店だそうで、大正13(1923)年竣工の建物です。奥に細長い町屋の正面玄関として建てられています。この建物、一見コンクリート造りのようですが木造三階建だそうです。
 文化財としての登録はないようですが、軒を吊り金具で支えるデザインなどとても素晴らしい意匠だと思います。船場の商社が町屋から洋風近代建築へと移行して行く過渡期の貴重な建物と識者の評価も高いそうです。
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 そういえば住吉公園駅南側の軒もこんなデザインだったのを思い出しました。
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 外国の方々向けに、どの色のお金を組み合わせれば目的の金額になるかという表示がされている飲料の自動販売機を見かけました。
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 ガスビルがすぐそこに見えています。



 地下鉄御堂筋線本町駅北中改札から駅構内に入ります。
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 かつてここにはこんな装飾がほどこされていたのですが…
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 いつのまにか埋められてしまっています。少々残念な気持ちです。




 本町・淀屋橋・北浜界隈のあちらこちらに残る歴史的建造物の数々…

 今も残るこれらの建物に「大大阪」時代の息吹を感じながらの街あるきとなりました。




この記事へのコメント

HAPPYmountain
2019年06月28日 11:56
いや~面白いですね。こんなにもレトロな建物が残っているのですね。G20終了後に散策してみます。
くろがね みちゆき(鷹峯光悦)
2019年06月28日 13:28
北浜界隈に残るレトロビル群は、昔日の大大阪時代を思い起こさせてくれます。いかに大阪の羽振りが良かったかを伝えてくれるビル群ですね。最近のビルはサイコロみたいで面白くありません。そうそう、大丸心斎橋店の新ビルが姿を見せてますね。
ぽんた
2019年06月28日 17:27
こんにちは。
ずいぶん多くのレトロビルが残っているのですね。
ステキですね。
「あさが来た」知ってます!
五代さんって実在した方??
聖地巡礼ができますね。

G20の交通規制で
ご不便で大変だと思います。
私がびっくりしたのは会場がインテだったことです。
帝都のコミケのようなイベントを開催する会場なので
『あんなところで感』がありました。
のり
2019年06月28日 18:53
♪ HAPPY mountain様
けっこう残っています。ぜひお訪ねください。ただし会社や商店として現役の建物も多くありますので、中に入って見学…というのはあまりできないと思います。


♪ くろがねみちゆき(鷹峯光悦)様
「大大阪」時代の面影を残す立派な建物ばかりですね。あの頃の淀屋橋・北浜から船場にかけては、様々なデザインの洋風建築と町屋とが入り混じった、なんとも言えない素敵な街並みだったのでしょうね。
大丸心斎橋、姿を表しましたね。ヴォーリズの旧店が表面だけになりました。私見ですが?百貨店建築の最高峰だったと思っています。


♪ ぽんた様
このエリアには素敵な建物がなかなかたくさん残っています。
「あさが来た」は素敵なドラマでしたね。個人的に「ごちそうさん」「マッサン」とともにとても気に入っています。五代友厚はもちろん実在の方です。
大阪証券取引所正面にある像には「五代友厚公」と記されています。
大阪発展の礎を築かれた方で、経済界の方を中心に今でも「大阪の恩人」として尊敬されています。
大阪経済の発展に尽力されながら、病を得てわずか49歳の若さで他界されました。もう少し長生きされていたら、きっと大阪は(いや日本は)もっと変わっていたことでしょう。

G20開催のため、大阪市内の警察車両の数が半端ではありません。
開催場所がインテックス大阪なのは、「咲洲」という人工島だからという警備の都合上なのかもしれません。
gop
2019年06月28日 19:24
「ごちそうさん」でも描かれた大阪大空襲の救援電車、本町駅は「閉鎖されているはずのシャッターが開いていた」そうな。歴史的史実が多く詰まった街でもありますね。
hm6059
2019年06月28日 22:01
のりさん、こんばんは。
結構歩かれたんではないでしょうか。
昔はもっと(当たり前ですが)、味わい深い建物がありましたね。急激に減ったのは、バブルの頃だったような気がします。5枚目画像の北浜のレンガビルの並びにも、小ぶりながら同じ様なビルヂングがあって、中之島側から土佐堀川を挟んで、その様子が良く見えました。
北浜では、難波橋のライオンなど、石造りの古い橋の装飾も大大阪を表現する建造物かと思います。
BYRD
2019年06月28日 22:21
自分も今年の初めに少し北浜界隈を散策しましたが、その時も「北浜レトロビルジング」の紅茶専門店の前にはお写真のように順番待ちの列ができてました。この北浜や堺筋本町界隈も昨今はマンションに建て替わってしまっているところが結構ありますが、こうしてのり様が撮影されたお写真を拝見させていただいてますと「大大阪」時代を造った立派な建物がまだこの時代に残っていることは本当に素晴らしいことだと改めて感じました。次は建物の撮影中心で訪れたいと思います。
のり
2019年06月29日 06:47
♪ gop様
「ごちそうさん」のあのシーンは、今思い出しただけでも胸が熱くなります。あのドラマのように「市民の圧力」に負けて開けられた駅もあったそうですね。


♪ hm6059様
「バブル」って何だったのか…、と思うほどの時代でしたね。
今はレトロであることを「売り」にするカフェレストランなどの商業施設として活用しているところも目立ってきており、以前より華やかになった気がします。
おっしゃるとおり、中之島界隈の石造橋も「大大阪」の遺産でしょうね。


♪ BYRD様
大阪がいちばん活気付いていた「大大阪時代」。
その名残が今もこの界隈に息づいています。オフィスとして現役のところもあるところがすごいですね。
そう遠くないところですので、折を見てまた出かけてみたいと思っています。
Cedar
2019年06月29日 11:49
見入ってしまいました!大大阪時代の遺構の数々。
個人商店企業が建てたものが多いのも、大阪らしいです。月曜日はこの辺りに用があるので、少し歩いてみます。
よこはましにしなりくみなとみらい
2019年06月29日 15:30
「大大阪」時代を感じさせるていうか(ヤバい、俺はまだ生まれて無いやんけ‼)、当時そういった建物があったんだろうなって思わせるような画像が沢山あって目白押しですね。こういった古き良き建物。残すものは残して伝統を活かさないとダメですね。てか、関西ではあまり地震による災害が非常に少なかったせいか、とくにあちこちに文化住宅が多かったような…。あれはアレでホンマに関西ならではの人情味溢れる独特な建物ではあるのですが、しかもそれもこれも古き良きって感じで良いんだけれども、その反面、あまり耐震性が無かったかのようにも思えますね。だから、阪神淡路大震災の神戸の地震の影響で、あちこちにあった文化住宅が次々に無くなっていったと聞いています。だけども、まだまだ関西の一部の地域によっては残ってる場所もあるみたいですね。いわゆる、昔ながらの長屋って言うんですか。ま、でもああいう建物って賛否両論いろいろありますからね。大変なことだとは思いますけどね。それとは打って変わって、「大大阪」時代にあったと言われる、上記のようないかにも丈夫そうな煉瓦造りの建物は、これからもずっと後世に渡って残しておいといたほうが良いかもしれませんね。何と言っても、「大大阪」時代にあったシンボルな建物なわけですから。ま、明日は分かんないですけどね。だけど、やはり難しいとこですよね。
のり
2019年06月29日 22:43
♪ Cedar様
民間資本で活躍…、これが五代友厚氏の描いていた大阪だったのでしょう。五代氏は日本最初の私設鉄道である「阪堺鉄道」(のちの南海鉄道)の設立に奔走されました。
ちなみに、時代は下りますが「京阪」の設立発起人には渋沢栄一氏が名を連ねていますね。


♪ よこはましにしなりくみなとみらい様
大正から昭和初期にかけて、大阪が「大大阪」と呼ばれていた時代がありました。その礎を築かれたのが五代友厚氏です。
戦争による空襲で多くの建物が消失してしまいましたが、淀屋橋・北浜界隈には戦災を逃れて焼け残った建物が残っています。
この時代の生き証人として、これからもなんとか残ってほしいものですね。
くろがね みちゆき(鷹峯光悦)
2019年06月30日 14:41
五代友厚氏と言えば、杉本町にある大阪市立大学(旧:大阪商科大学)の設立にも尽力された方ですね。たしか住居跡が日本銀行大阪支店で、阿倍野霊園に眠られているのだとか。そうそう。「船場ビルディング」の少し先に「勝海舟寓居・海軍塾跡」がありますね。
のり
2019年07月01日 06:25
♪ くろがねみちゆき(鷹峯光悦)様
五代友厚氏が未来の商業人育成のために設立した「大阪商業講習所」が、のちの大阪市立天王寺商業高校(大阪フロンティア高校)と大阪市立大学でしたね。
亡くなられた時の葬列は淀川から大和川までつながったとか。
五代友厚氏のお墓は、阿倍野墓地の中でもなかなか目立つものだそうです。