のりさんの鉄っちゃん想い出風景

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zoom RSS 平野線使用・レール・トロリー線

<<   作成日時 : 2018/05/30 00:21   >>

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 南海平野線は、昭和55(1980)年11月27日の営業をもってその姿を消しました。


 平野線廃止一周年を記念して、昭和56(1981)年に阪堺電気軌道から発売された平野線で使用されていたレールとトロリー線のお話です。


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 ビニール製の袋に入っています。
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 レールとトロリー線。
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 廃線記念の文字と日付が刻印されています。
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 平野線の功績を讃える添書きが封入されていました。
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 その全文です。



 平野線に使用したレール・トロリー線の頒布について

 昭和55年11月27日、開業以来66年の長きにわたり地域とともに歩み続けてきた南海電鉄平野線(今池〜平野間、5.9キロ)は、この日を最後としてその営業を廃止しました。
 廃線時、同線には今池、飛田、阿倍野、苗代田、文の里、股ヶ池、田辺、駒川町、中野、西平野、平野の11停留場を有し、今池で阪堺線(恵美須町〜浜寺駅間間、14.1キロ)、また阿倍野で上町線(天王寺駅前〜住吉公園間、4.6キロ)と連絡していました。
 運転区間としては、恵美須町〜平野間と天王寺駅前〜平野間の2つがあり、両区間あわせて一日(平日)延べ352回を運転、今池〜平野間の所要時分は約20分でした。
 平野線はもともと、当時の大阪府西成郡今宮村から同東成郡平野郷町に至る軌道建設を目的に設立された、阪南電気軌道(株)の計画路線でしたが、同社が大正2年7月阪堺線を運行していた阪堺電気軌道(株)(現在の阪堺電気軌道(株)とは別会社)に合併されたことから、翌3年4月、当社の路線として開通をみました。今池〜平野間の運賃は4銭だったということです。
 同線は翌大正4年6月、阪堺電気軌道(株)が南海鉄道(株)と合併したのにともない、南海鉄道の平野線となり、阪堺線およびすでに南海鉄道に合併されていた上町線とあわせて、同社の軌道線をかたちづくりました。
 平野線は以来、沿線の都市化とともに順調に発展し、昭和4年には自動信号機の完備とともに、当時としては、最新鋭を誇った鋼製電車「電5型」を使用して"2両連結運転"を実施するなど平野線の黄金時代を迎えました。
 その後、戦中戦後の混乱期にもたえてその任務をはたし、旅客数においては昭和30年頃をピークとして関西線の近代化や地下鉄一号線の延長をはじめモータリゼーションの進行など沿線交通形態の変容によって、順次減少傾向にあったとはいえ終始沿線の市民生活に密着した便利な足として活躍を続けてきました。しかし昭和55年11月27日、同線に沿って大阪市地下鉄谷町線の天王寺〜八尾南間が営業開始したことから、当日限りでその交通機関としての役割を終えて惜しまれつつも姿を消しました。
 当社(阪堺電気軌道株式会社)は、平野線廃線直後、残る軌道線の上町線および阪堺線を南海電気鉄道(株)から譲り受けて新発足しユニークで便利な路面電車として、その役割をはたすべく、けんめいの努力をつづけております。
 今回当社は、平野線の伝統を受け継ぐものとして、同線の過去の功績を記念する意味において、レールおよびトロリー線を頒布いたすことになりました。
 レール、トロリー線ともに長年平野線で使用してきたものを当社現場において加工製作したものであります。
 当記念品によって平野線のありし日の姿をしのんでいただければ幸いです。


  昭和56年11月

            阪堺電気軌道株式会社




 昭和53(1978)年頃……
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 昭和55(1980)年2月14日……
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 昭和55(1980)年11月24日……
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 懐かしい平野線の姿を思い出さずにはいられません。




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コメント(7件)

内 容 ニックネーム/日時
もう、平野線を知らない世代の方が多いんですよね。それを思うと「歳食ったなぁ・・・・」と思いますわ。ただ、残念なのは一度も乗らずに終った事。おまけに写した平野線の写真も1枚だけと言う体たらくぶり。205形自体は嫌というほど乗りましたが、平野線では皆無。205形も廃車後の方が写した枚数が多いって言うのが情けない o(T_T)o
鷹峯 源光
2018/05/30 00:38
((((;゜Д゜)))ええっ!!こんな物があったのですか!!住吉公園廃止区間にもこのような物を出して欲しかったです。
HAPPYmountain
2018/05/30 00:59
♪ 鷹峯源光様
平野線の現役時代をご存知の方……、40代半ば以降の年齢だと思います。
私も乗車したのは数えるほどでした。身近にありながら、もっともっと乗れたはずなのに…、と思うと残念でなりません。
その後悔もあって、阪堺電車沿線にはできる限り出没するようにしています…(笑)。


♪ HAPPYmountain様
手元にはあるのですが、どこで買い求めたのかさっぱり記憶にありません。おそらく天王寺駅前だと思うのですが…。
住吉公園廃止の周年記念に販売すれば記念になったでしょうね。
のり
2018/05/30 08:21
おはようございます。
すごいですね! いいですね!
手元に置いて
いつでも愛でることができるのは
素晴らしいと思います。

小田急LSEも引退の日が発表されました。
わかっていたことですが
寂しいです。
ぽんた
2018/05/30 08:38
♪ ぽんた様
別のものを探しておりましたら、偶然発見しました。
平野線にお世話になった……というわけではありませんが、馴染みの上町・阪堺両線とともに南海の大阪軌道線を形成していた路線ですので、忘れられません。

GSEの第2編成登場が決まり、同時にLSEのステージを去る日がやって来ましたね。
人々の夢と憧れを運び続けたLSE、最後まで無事にお勤めを果たされることをお祈りしています。
のり
2018/05/30 18:44
平野線の話で盛り上がっていますね。前回の書き込みで連結運転のことを話題にしましたが、当時の想い出を2,3・・・。161形と301形は連結器が違って異形式では連結できなかったと思います。両形式ともにバンバ−の上に電気ジャンパー栓が2個並列にならべてあったのですが、300形はジャンパー栓が白に塗ってありました。集電装置は今のパンタグラフではなく、Yゲル(私はTゲルと言っていました)でトロリーポールのように前後に2個設置されていました。小学生の頃で、まだカメラも持っていなかったため、画像記録をお見せできないのが残念です。ついでに高校時代に京都市電で連結運転を見たことがあります。その時は600形改造(車体延長、連結器設置、総括制御化)の1600形と、新造の2000形の2形式で連結運転が実施されたと記憶しています。こちらの方は京都に行った時に2,3度見たことがあるだけで、乗車したことはありません。嵐電や、京津線(これはちょっとタイプが違うようです)も路面電車の連結運転でしたね。
デトニ2300
2018/05/30 23:57
♪ デトニ2300様
貴重なお話、ありがとうございます。
じつは私も「T字形ビューゲル」だと思っていたのです。「Yゲル」という言葉を知ったのもほんの十数年前のことでした。
阪堺線の主力であったモ205形は、他形式より最後まで(昭和47年頃)Yゲルのまま走っていましたので、その姿は鮮明に記憶しています。終着駅でのYゲルの上げ下ろしもつぶさに眺めていました。
パンタ化と同時に室内灯の蛍光灯化が行われたようです。それまでは161形はグローブ型・205形には鈴蘭型と呼ばれるとてもシャレた白熱灯が付けられていました。懐かしい思い出です。
阪堺沿線で生まれましたので、連結器を装着した電車も見ているはずなのですが、物心ついた時にはもう連結運転が終了していましたので、残念ながら記憶にはありません。
161形と301形とは制御装置が異なりますので、誤連結を防ぐため301形のジャンパー栓が白く塗られていた…ということは、書物で読んだことがあります。大型の路面電車が連結されて運行する姿は豪快だったでしょうね。
懐かしい記憶がよみがえって来ました。ありがとうございます。
のり
2018/05/31 07:06

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