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名鉄の個性的な600V線区、揖斐・谷汲線訪問記です。 昭和55(1980)年7月13日(日)、今私は黒野駅にいます。 本揖斐方面から、岐阜市内線直通の急行がやってきました。 モ511+モ522の2連です。黒野駅で、最初に写した本揖斐行急行が、新岐阜行として本揖斐から折り返してきました。 1番線に到着です。黒野で、本揖斐行と交換します。 交換する急行がやってきました。モ525号ほかの2連です。 すぐに、通票の交換が始まります。 駅員さんが通票を持って現れました。 ごく普通の通標交換風景です。 でも、駅員さんが、何か妙なものを持っています。 拡大してみます。 駅員さんが左手に持っているものは、普通のタブレットキャリアです。しかし、右手の槍のようなものは何でしょう。 前にもお話しましたように、この撮影に関しての記憶がほとんどありません。ですから、この交換風景も全く覚えていません。このコマをスキャンして初めてこの存在に気がつき、いろいろと調べてみました。 この槍のようなものは、「スタフ」と呼ばれているものだそうです。棒状通票ともよばれています。スタフといっても、運転士さんが持っている運行表ではありません。 スタフ式の閉塞方式は、かなり古典的な閉塞システムだそうで、約30センチの棒状の物の先に通票を取り付けたものを、手渡しで交換し、その先への列車の通行を許可するというものです。かつては、日本の黎明期のローカル私鉄でみられた方式だそうですが、ほとんどが早い時期に、交換の容易なタブレット式の通票に変更され、その姿を消して行きました。現在、津軽鉄道と名鉄築港線に、この「スタフ」が現役の区間があるそうですが、私自身も、この「スタフ」方式の鉄道が、この時期に実際に存在したことを初めて知りました。 「スタフ」方式の閉塞区間が、大私鉄である名鉄で、しかもこんなについ最近まで残っていたのですね。驚きでいっぱいです。この付近の閉塞の方式や、スタフ方式が何時頃まで続いたのかなど、いろいろ調べましたが、その経緯については、よく分かりませんでした。 東京在住の大先輩Mさん、会社の先輩Oさん、いろいろご教授ありがとうございました。 読者の皆様で、この件について、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひともご教授下さい。 もっと詳細に撮影しておけばよかったと、残念至極ですが、この一枚だけ残していたのを、良しとしなければいけないのかもしれません。 その後、私は谷汲へ行ったようですが、どんな電車に乗っていったのか、また帰りの電車についても、一切の記憶がありません。ただ手元に一枚の切符があるだけです。 この切符も、わざわざ新岐阜から一区間分のものを購入して、下車後手に入れ、新岐阜から新たに切符を購入したために手元に残ったものでしょう。 名鉄揖斐・谷汲線は、その後新型車両を投入して体質改善を図りましたが、平成13(2001)年秋に黒野以遠が、そして、同17(2005)年春、岐阜市内線と共に全線廃止されました。 ほんの30年程前には、こんなに長閑な風景が見られた揖斐・谷汲線。再訪の夢は叶わなくなってしまいました。 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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はじめまして、 |
柿ロン 2008/10/04 00:11 |
♪ 柿ロン様 ようこそお越しくださいました。色気のないページですが、よろしくお願いいたします。 |
のり 2008/10/05 14:44 |
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