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昭和55(1980)年7月13日(日)に訪れた、名鉄揖斐・谷汲線黒野駅の写真です。 その昔に大活躍した電車たちが、まだまだ活躍中でした。 車庫が見えます。 中からのぞいているのは、モ702号です。 右手から、ク2325が来ています。前回のブログで、「忠節」行の方向板が表示されていたモ754号は、このク2325に連結されていたのかもしれません。 モ700形は、旧名古屋鉄道(後の名岐鉄道・現名古屋鉄道の西域を構成する)が昭和2(1927)年に、日本車輌で製造させた車輌です。いろいろな経緯を経て、揖斐・谷汲線へ復帰。その後は、ク2320形と組んで活躍しましたが、方運転台車ということもあって、両運転台車であるモ750形の方が重宝されたため、平成10(1998)年に、新型電車モ780形の登場を機に引退しました。 ク2320形の前身は、愛知電気鉄道(現名古屋鉄道の東域の一部を構成する)名古屋・豊橋間全通による高速運転を目指して大正15年(1926)年に登場した半鋼製電車デハ3080形です。昭和30年代後半に、電装解除されて付随車となり、ク2320形となって瀬戸線へ転出し、一部が特急で活躍。やがて、瀬戸線の近代化・昇圧化により、一部が引退を免れ、揖斐・谷汲線へやってきました。そういえば、瀬戸電の昔の主たちが、この線に来ているケースが多いようですね。 少し拡大してみます。 木造のこのタイプの車庫は、以前はよく見かけたものです。簡単な車両検査も出来そうです。 奥に、もう一つ建物があります。 名車、モ510形512号が見えます。右側に見えているのは、おそらく先ほどの写真に写っていたモ702の相棒のク2320形でしょう。 拡大してみます。 なかなか美しいスタイルです。戸袋の楕円窓がとても素敵です。こんな古典的な車輌が、現役で急行で活躍していたなんて、なんと素晴らしいことでしょう。このタイプの電車は、明治から大正時代にかけてあちこちに登場しましたが、関西圏の正面5枚窓の玉子型電車とは、また趣が違います。 このモ512号は、現在は、廃止された美濃町線(生まれ故郷の美濃電)に里帰りし、旧美濃駅舎内で、駅舎や美濃町線で活躍したモ601と共に保存されています。今にも動き出しそうな美しい姿だそうです。 一番線の向こうに、電車が一両休んでいました。 車番は、「755」のようです。 モ755号は、昭和7(1932)年に鉄道省高山本線との直通運転が始まった際、お座敷電車に改造され、その任にあたったそうです。平成13(2001)年の谷汲線廃止と共に運命を共にましたが、現在は旧谷汲駅舎にて保存されているとの事です。 3番線に谷汲方面から、黒野折り返し電車がやってきました。 モ701形704とク2320形2327の2連です。 後側から撮っています。折り返し谷汲行です。 本揖斐方面から来た岐阜市内線への直通急行が、1番線に進入します。 最初に写した522+511が、本揖斐から帰ってきました。 黒野で、本揖斐行と交換します。そのお話は次回に・・・ |
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