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9月27日(土)、所用の合間に、大阪市阿倍野区にある「阿部野神社」を参拝してまいりました。 阿部野神社の参拝は、何年ぶりのことでしょうか。記憶にないくらい以前のことです。 場所は大阪市阿倍野区北畠。最寄り駅は阪堺電車上町線北畠駅または阪堺線天神ノ森駅です。今日は天神ノ森の方から参ります。 阪堺線天神ノ森駅を出て、西に歩くと、すぐに旧住吉街道に出ます。少しだけ南に歩きます。 旧住吉街道沿いに、「阿部野神社」の表示がありました。 西に向かって撮影しています。左右の通りが、旧住吉街道です。向こうに南海高野線岸里玉出駅が見えています。左(南)の方へしばらく行くと、阪堺線の併用軌道になります。 振り返ると、阪堺線の踏切です。ピンボケですみません。踏切を越えたところに、最初の鳥居があります。 この踏切のすぐ右手に、昭和30年代まで「宮ノ下」という停留所がありました。その痕跡が見られます。 浜寺駅前方面のホーム跡です。少し近寄ってみます。 煉瓦積の基礎が時代を感じさせます。 恵美須町方面のホーム跡には、上屋を支えていたと思われる柱の跡がありました。 すぐ南には、南海高野線のガードがあります。これも煉瓦積で、歴史を感じさせるものです。 先ほどの鳥居には、文字が見えます。 「大日本は神国なり」。北畠親房の著した「神皇正統記」の冒頭です。 次の鳥居です。 先ほどの鳥居とともに、上部が外されています。特に、この鳥居には、明らかに最近外された痕跡があります。経緯は良くわかりません。 この鳥居をくぐると、正面の立派な鳥居が見えてきます。 正面階段を上り、鳥居をくぐって、右手になにやらゆかしげな表示物がありました。 北畠親房公の詠まれた歌を並べてあります。右側は、その解説です。 拝殿前にやってきました。静まり返った境内です。 神社の由来です。 阿部野神社のご祭神は、北畠親房公とその子顕家公です。北畠顕家公が、足利尊氏軍の高師直と奮戦した阿倍野ヶ原の地にちなみ、地元有志の方が、明治15(1882)年に建立されたものだそうです。その後、昭和20(1945)年の大阪大空襲により消失し、現在の社殿は、昭和43(1968)年に再建されました。 北畠親房・顕家の両公については、過去の拙ブログに書かせていただいたことがありますので、ご参照下さい。 http://205-161-205.at.webry.info/200807/article_5.html 拝殿横には、なにやら大変長い書き物がありました。 よく見ると、 あの「神皇正統記」本文です。延々と続いています。 その下に、北畠顕家公についての由緒が書かれてありました。 花将軍といわれた美しい方だったそうで、この阿部野ヶ原の戦いの直後、堺・石津の地で若干21歳で戦死されました。死を覚悟したのか、その直前に後醍醐天皇宛に改革を訴えた「上奏文」をしたためています。 境内に面白いものがありました。この阿部野神社を読み込んだ学校の校歌です。 その中に、顕家公をたたえる歌もありました。 作詞・作曲を手がけられた阿部和子さんは、地元大阪で音楽活動をしておられる方だそうです。 南朝の実力者北畠親房の子として、志半ばで戦塵に散った若武者に思いをはせ、少し神妙な気持ちになりました。 ここから東へ、歩いて10分ほどのところに、北畠顕家の墓と伝えられるところがあり、「北畠公園」として親しまれています。ちなみに、「北畠」という地名は、北畠親房・顕家公ゆかりの地であるところから来ています。 |
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昔、一度だけ行った事がありますが、こんな謂れがあったとは知りませんでした。 |
ファジー 2008/09/29 09:27 |
関西の神社やお寺は、よくよく調べてみると教科書に載っている事柄にゆかりがあったりして歴史を感じます。 |
ぽんた 2008/09/29 12:40 |
♪ ファジー様 意外なところに、こんなに深い日本史の世界がありました。日本歴史上唯一の二重国家だった南北朝時代。北畠父子は、戦前は、楠木正成と並んで、歴史上最高級の偉人とたたえられていたそうです。この神社も、かつてはかなり賑わったとか。「宮ノ下」の駅の存在が、その何よりの証拠でしょう。いまの阿部野神社の境内は、都会の喧騒を忘れるかのように静まっています。 |
のり 2008/09/29 22:18 |
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