のりさんの鉄っちゃん想い出風景

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help リーダーに追加 RSS 国鉄明石駅

<<   作成日時 : 2008/09/14 09:28   >>

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 学生時代、通学のために毎日のように乗り降りしていた国鉄明石駅のお話です。

 今から約30年前の4年間、国鉄で通学していました。大阪環状線から東海道線を乗り継いでゆくと、やがて車窓から、明石の天文台が見えてきます。ここは日本標準時。東経135度の子午線を毎日往き来しておりました。

 明石駅のホームは島式2面海側が電車線、山側が列車線でした。列車線ホームには、朝夕ラッシュ時の一部快速以外は、時折播但線特急などが止まるだけで、いつもがらんとしていました。ただ、事故などで列車が遅延すると、ダイヤ回復のため、新快速が列車線に廻ることがありました。いつもと違う線を通りますので、明石海峡がよく見えたり、上りは鷹取工場のすぐそばを通るなど、見える風景が違っていました。
 明石駅ホームからは、すぐ北側に明石城が見えます。といっても、明石城には天守閣がなく、櫓だけの姿でしたが、それでも美しい姿でした。駅から海岸までは、徒歩で15分ほどかかりますが、それでも仄かに潮の香りが漂う明石の街は、海産物の集まるところ。しかし、当時はその辺りには興味もなく、今から思えば、もっと街の雰囲気を楽しんでもよかったなと思っております。
 
 通学というには、少々長距離でしたが、それなりに楽しんでおりました。時折、往路に阪神阪急を利用したり、京阪を使用することも・・・(京都経由で明石まで・・・)。


 そんな明石駅の写真、たった4枚しか残っていませんが、ご覧下さい。

 撮影は、昭和53(1978)年頃のはずです。

 西明石行の快速電車です。
 
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 ヘッドライトや寒冷地対応のタイフォンなどから、おそらく湖西線直通用の113系700番台だと思います。似たような形状では、2000番台という体質改善車も登場していました。座席がほんの少しだけ(一般の方には、全く気付かない程度です)寸法が変わっていました。


 草津行新快速が、明石駅に近づいてきました。
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 153系初期車による新快速西明石行です。 
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 本来なら、前面展望抜群の電車ですが、運転台後のカーテンは全て下ろされています。当時の国鉄は、運転台の後のカーテンが全て下ろされているのが通常でした。
 写真の右手に見える架線支柱は、山陽電車の明石駅(当時は電鉄明石、現在は山陽明石)です。山陽電車・明石駅のアナウンスは、今でもはっきりと覚えています。全く抑揚のない放送で、極めて特徴的でした。

走っていた電車については、過去のブログをご覧下さい。下記URLからお入りになれます。
http://205-161-205.at.webry.info/200807/article_1.html


 当時の新快速は、朝ラッシュ時終了から夕方ラッシュが始まるまでの間15分ヘッドで、運行されていました。西行は、西明石行姫路行が交互にやってきました。帰宅の際には、西明石始発の電車は座れるのですが、姫路始発の電車では、座れない事もしばしばでした。車輌は、153・165系の急行用車輌で、6両編成。白地にブルーの帯の斬新な塗装でした。停車駅は、京都・大阪・三宮・明石・西明石(姫路行は通過)・加古川・姫路だったと思います。通学利用中に、神戸に停車するようになりましたが、新大阪に停車するようになったのは、ずっと後のことでした。大阪・三宮間は所要時間25分ではなかったかと思います。明石までは45分かかっていたようです。京阪間29分運転は見事でした。京都・西明石間は複々線でしたが、当時は料金不要車は緩行線を使用するのが通例でした。ですから、「急行線・列車線を利用すれば、もっと効率よく運転できるのに」と思ってみても、「あちらの線は優等列車や荷・貨物列車専用」と、皆さん思っていました。

 山側の列車線に、EF58‐142牽引の荷物列車が入ってきます。
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 右手に少しだけ見えている木々が明石城です。 
 当時EF58は、最晩年を迎えていました。それでも、性能の面から荷物列車に重宝されていたようです。美しいスタイルは、国産電気機関車の傑作といえるでしょう。現在EF58は、数両を残して引退しています。鉄道車両の誉れ「お召し牽引機61号」は、現在も美しく保管され、いつでも稼動できる状態と聞きます。

 現在の明石駅は、山陽電車が高架になって、JRのすぐ南に隣接しています。辺りの雰囲気も一変したことでしょう。この直後に117系新快速専用車が登場しました(登場が卒業後でしたので、とても残念な思いをしました)。その後103系、111・113系、117系、153・165系などから201・321系、221・223系などへとすっかり様変わりしています。再訪したいと思いつつも、なかなか機会がありません。


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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
明石は母の里なので昔からよく行ってました。
材木町に実家があったので、そこから水着姿で飛び出て、岩屋神社前の浜で一日中泳いでました。
地上駅時代の明石も僅かに憶えています。
さすがに明石機関区のC5320は存じませんが・・・。
ファジー
2008/09/14 13:41
♪ ファジー様  明石に縁がおありだったのですね。今から思えば、学生時代に、もっと明石の町へ繰り出してもよかったなと思ったりしております。
国鉄明石駅が高架化されたのが何時頃か存じませんが、約40年前に、母方の田舎である高知へ行く途中、特別急行「うずしお」で通ったはずです。しかしながら、全く記憶にありません。当時の「うずしお」の停車駅は、大阪・神戸・姫路・岡山・宇野だったはずですので、通過駅だった明石は記憶にないのでしょう。残念です。
のり
2008/09/15 10:35

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