のりさんの鉄っちゃん想い出風景

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help リーダーに追加 RSS 蹴上辺りの京阪電車

<<   作成日時 : 2008/08/25 21:49   >>

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 京都・三条から出発する京阪電車京津線は、独特の雰囲気を持った趣のある電車でした。

 今回は、そんな京津線の想い出です。

 撮影は、昭和54(1979)年5月23日(日)、場所は、京都市東山区の蹴上付近で、歩いて三条を目指します。

 蹴上駅に向かう80形三条行普通です。
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 ほぼ同じ場所での撮影。260形三条行準急です。
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 カーブを曲がったところに蹴上の停留所があります。右手前方に見える三角屋根の洋風建築は、蹴上変電所です。

 蹴上駅を出る80形三条行普通です。
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 露出選択の失敗で、粒子が粗いですがご勘弁下さい。

 京津線用80形は、独特の美しいスタイルで知られる電車です。グリーン濃淡のこの電車は、昭和36(1961)年に登場した当初、ポール集電式でしたので、正面運転台の窓は、一段式下降窓でした。後にパンタ化され、窓は固定されましたが、ヨーロッパ風の美しさはそのままです。併用軌道区間の停留所では、乗降扉が開くと同時に、乗降ステップが開いてきて、乗降をスムーズにしていました。平成元(1989)年に冷房化されましたが、同9(1997)年に地下鉄東西線が開通し、この区間が廃止されたため、惜しくも引退しました。現在、「82号」錦織車庫に保管されているそうです。ぜひとも保存して欲しいものですね。

 蹴上駅を出た260形浜大津行準急です。
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 260形は、昭和32(1957)年に登場した電車で、製造年代により両運・方運や扉形状など若干の違いがあります。初めの方の写真は片開き扉ですが、この写真のものは両開きですね。塗装は、この写真の頃は、本線特急車と同じ赤と黄色のツートーンカラーでしたが、新形式の500形がグリーン濃淡で登場したため、後に同様のグリーン濃淡になりました。この電車も登場時はポールでした。この写真を撮影した年に500形への車体流用改造が始まり、改造されなかった残りの車輌も平成5(1993)年に引退しました。

 蹴上を出た浜大津方面行き電車は、右にカーブしてやがて専用軌道に入ります。 
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 右前方に専用軌道が見えています。ここから先は、逢坂山越えの急勾配・急曲線が続く難所です。

 左手には、疎水・インクラインの遺構があります。その下をくぐるトンネルがありました。
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 煉瓦積の美しいトンネルです。天井は「ねじりまんぼ」といわれる煉瓦の積み方で、斜めに交差する場所などに用いられました。強度を増すため煉瓦を螺旋積みにした独特の工法で、現存するものは、もう数少ないのだそうです。「まんぼ(間風)」とは、中部から近畿にかけての言葉で、トンネルや暗渠などをさす言葉だといいます。

 蹴上を出た300形準急が三条へ急ぎます。
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 ここから先は、もう道程は平坦です。

 300形は、昭和40(1965)年に本線の旧型車輌を改造して登場した電車で、260形に準じた車輌です。塗装も260形と同様に、本線特急車と同じものでしたが、のちにグリーン濃淡に変更されました。600形に車体流用されるため、昭和60(1985)年に引退しました。

 東山三条の停留所です。浜大津行準急が行きます。車番は、かろうじて「278」と読めます。
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 まっすぐ西に向かっていた線路は、三条駅の直前で、南方向へ急カーブです。歩道橋をくぐり、三条終点に到着します。
 三条駅に着きました。
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 駅北側の歩道橋から、南に向けての撮影です。
 右側の建物が、京阪本線の三条駅です。左側の長い屋根は、バスターミナルです。いろんな行き先のバスが出ていました。さすが大観光地京都のターミナルです。
 京津線のホームには、左手に260形浜大津行準急が、右手に80形四宮行普通が止まっています。右側のホームが左側と平行になっていないのは、かつて大阪と浜大津を結ぶ直通特急があった名残です。この歩道橋のすぐ下に「高山彦九郎皇居遥拝の像」がありました。現在でも、場所をほんの少しだけ西に移動して、皇居を拝み続けているそうです。

 京阪本線が地下化されたのは、昭和62(1987)年で、京阪京津線が市営地下鉄と相互乗り入れするために廃止されたのが、平成9(1997)年10月のことです。

これらの写真も、今となっては懐かしい想い出となってしまいました。
 

 

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コメント(9件)

内 容 ニックネーム/日時
地上の線路がなくなってから早くも11年もたちましたか。今でも蹴上に行くと路上を走っているような錯覚をおぼえます。
ファジー
2008/08/26 07:26
京津線は初めて雑誌で見た時から憧れの電車でした。
ポール集電、急行運転、路面軌道、山越えとトンネルなどどれも関東には見られないものでした、初めて三条から乗ったときは260型の急行が四宮で80型の各停を追い抜いたり、浜大津でスイッチバックして石山寺に直通するのにいちいちビックリしたものです。
その頃は< びわこ>号や前面5枚窓の200型も残っていました。もう40年も前のことですね(古っ!)
今の800型が大津市内の路面区間を行く姿もなかなか凄いですけども。
Cedar
2008/08/26 21:04
その2です(京津線大好きなんで)。蹴上付近では私も疎水の桜をバックに260型や80型を撮影しました。当時は車もそんなに多くなく気分の良い撮影でした<はんなり>という言葉はまだ知りませんでしたがそんな感じでしたね。
Cedar
2008/08/27 00:26
京津線に初めてお目にかかったのが昭和29年夏。以来、好きな線区の一つです。歴代の車輌の中で、60びわこ、200、急行に使っていた30という小型のボギー車、80が好きでした。80は近代的デザインでありながら、ポールが似合いました。
京都というところは、明治維新で、近代的工業都市化を目指したそうで、街のまん真中に発電所があったり、それが、現役らしかったり、疎水という多目的運河があったりします。しかも、平安以来の古都の遺産の山。なんて、良い所なのでしょう。
地下に潜ってしまってはいるけれど、『地下鉄+郊外電車+登山電車+路面電車』の京津線のあることは、素晴らしいことだなあと思うのです。
む〜さん
2008/08/27 06:11
♪ ファジー様  あまりにも見慣れた風景でしたので、なくなってしまったのが不思議に感じられますね。今でも。この辺りに行くと、どこからか「ボォォ〜」という、独特の警笛が聞こえてきそうな感じです。

♪ Ceder様  蹴上の辺りは、京都らしい落ち着いた雰囲気でしたね。路面電車とも郊外電車ともつかない2両編成の電車が往き来する風景は、とても似合っていました。わたしも大好きな風景でした。

♪ むーさん様  80型は、私も大好きな電車です。今はもう走る姿を見ることは叶いませんが、その雄姿を忘れることが出来ません。
おっしゃるとおり、東寺の塔と京都タワーが並び立つことに象徴されるように、京都は何とも不思議な街です。今出川辺りのLRT計画も、ひょっとしたら実現するかもしれませんね。 
のり
2008/08/27 22:18
学生時代、山科のバイト先に京津線で通っていました。懐かしいですね。
屋台骨ともいえる山科以西を京都市に持っていかれ、よく営業が成り立っていると思います。営業補償的なものはあったのでしょうか?民業圧迫としか思えません。
サットン
2008/08/29 16:07
♪ サットン様  日常的に京津線を利用されていたとは、羨ましいですね。逢坂山越えは、なかなか迫力がありました。600型の定速度制御も素晴らしかったですね。マスコンに数字が書いてあるタイプの定速度制御で、ガチャガチャとマスコンハンドルを動かす運転士さんが素敵でした。行く行くは大津線を分社化する計画だそうですね。
のり
2008/08/29 22:36
昨年久々に蹴上(南禅寺)に行ったのですが、
http://987.blog.so-net.ne.jp/2007-05-10
やはり地上に線路が無いと寂しいですねぇ。

以下1976.3.23に撮った京津線です。
http://987.blog.so-net.ne.jp/2007-04-12
80系は古都に似合った良い電車でしたね、残念です。
gop
2008/08/30 09:40
♪ gop様  URL、訪問させていただきました。蹴上の風景に、京阪電車はよく似合っていました。80形は、よい電車ですね。本当に大好きな電車でした。保管されている一両は、ぜひとも保存して欲しいと思います。
のり
2008/08/30 23:40

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