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近鉄の駅や検車区内で、約30年前に見た往年の名車たちです。 国・私鉄を問わず、事業用車には、第一線を退いた電車がよく使われていました。 近鉄にも、そんな事業用車が活躍していました。中には、名車と謳われた往年のスターがいました。 近鉄名張駅にいた「モワ20」です。 もう少し近づいてみます。 一見してそれとわかる、参宮急行電鉄(現近鉄大阪線 桜井・宇治山田間)の名車「2200」後期車(通称2200新)です。 種車は、2231号だそうです。かつては特急に使用されたため、前照灯が埋め込まれ、前面がHゴム支持化されています。昭和57(1983)年、廃車・解体されたそうです。 近鉄高安工場にいた「モワ22」です。 別角度から見ますと、係員さんがなにやら一生懸命保守点検整備をしておられます。 種車は、2237号だそうで、昔日の面影を比較的よく残しています。車内の転換クロスシートも残され、鮮魚列車としても活躍したそうですが、昭和56(1981)年に廃車・解体されたそうです。 参宮急行電鉄「2200」は、日本の高速電車の嚆矢として、昭和5(1930)年に登場した電車です。その性能は、現在でも通用するほどの第一級品でした。昭和14(1939)年に登場したものは、外観にかなりの変化がありました。そのため、その二つのグループを、それぞれ「2200旧」「2200新」と呼ぶ方もたくさんおられます。この「2200新」は、大阪線狭軌化に対応した電車と聞いたことがあります。大阪線狭軌化とは、戦時に備え、東海道線の代替ルートを確保するため、大阪線を狭軌化して、名古屋から大阪までを直通させるというものだったようです。そのルートは、大阪線を全線狭軌化するものだったか、八木から南下して橿原神宮から大阪鉄道(現近鉄南大阪線)で、大阪へ入るルートのどちらであったかは失念いたしました。事実だとすれば、戦時とはいえ、壮大な計画だったようですね。ちなみに、新京阪鉄道(現阪急京都線)の名古屋急行電鉄計画も、当時進んでいた所謂「弾丸列車」の代替ルート確保のため、認可された、という話もどこかで聞いたことがあります。 名車「2200」は、昭和50年頃に全車廃車されました。誠に残念なことに、現存する車体は一両も無いそうです。 近鉄西大寺検車区にいた「モワ87」です。 全体像を残しておかなかったのが悔やまれてなりません。 この電車の種車は、近鉄が合併した旧奈良電気鉄道(現近鉄京都線)の「デハボ1000」で、近鉄のホームページによりますと、「1016」号だそうです。正面窓がHゴム化され、側面の窓枠もアルミサッシになっていますが、比較的原型をよく保っており、奈良電時代を彷彿とさせます。昭和3(1928)年、奈良電開業時に登場したこの電車は、昭和44(1969)年の昇圧時に全車廃車、1016など一部が事業用車として残りましたが、昭和59(1984)年に廃車されたそうです。 高安工場の片隅で見つけました。 廃車体が倉庫に流用されるのは、よくあることです。これも、いろいろ調べましたが種車がよくわかりません。大阪電気軌道(現近鉄奈良・大阪線)のデボ1形ではないかと推測されますが・・・、正面窓周りが少し違うようでもありますし、実際のところは、わかりません。 かなり痛々しい姿ですが、倉庫として懸命に最後の活躍をする電車に、感動せざるを得ません。 |
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はじめまして。 |
ツキだっ! 2008/08/23 21:17 |
♪ ツキだっ!様 ご来訪ありがとうございます。画像も粗く、ピントも甘いなど、ろくな写真はございませんが、今後ともよろしくお願いいたいます。 |
のり 2008/08/24 15:46 |
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